2013年04月

2013年04月28日 ピンクの苺が増えてきました

ピンクの苺2013会社の花壇に数年前に植えた
ピンクの花を咲かせる苺が
今年も花を付けました。

年々、少しずつではありますが
株を増やしてきています。
ほとんど世話をしていませんが健気なもんであります。

今日は
市原バスターミナルの開場式典に参加してきます。

10時からが式典ですが
9時ころから地元の方が餅つきを始めるそうですから
早めに行ってみます。

honkab at 08:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0)6.トモゾウ日記 

2013年04月26日 圏央道が開通します

圏央道開通圏央道の木更津〜東金間がいよいよ開通します。
27日(土)の14時からという事ですが
市原市内にも「市原鶴舞IC」が新たに供用開始。

これまでも ゴルフ場を中心に、横浜や東京から、
多くの方が観光に訪れていましたが
更に便利になったことから
外房の海岸線も含めて、観光に関わる方達からは
一層の観光振興に期待がされています。

開通翌日の28日からは
市原鶴舞IC近くにできたバスターミナル経由で
高速バスも運行を始めます。

温暖で 海の幸、山の恵みがたっぷりの
「首都圏のオアシス」を自負する南市原に
足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

honkab at 11:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)里の活性化 

2013年04月21日 大福山の上から眺めると

もやの石塚養老渓谷のハイキングコースにある
「白鳥神社」の春のお祭りに行ってきました。
生憎の雨模様でしたが 山の上から下界を見下ろすと
新緑の山々に靄が立ち込めていました。

例年ですと
山桜の競演が美しいんですが
たまにはこんな景色も良いもんです。

こんな雨模様のなか、
大福山に登ってくるのは関係者だけですから
こんな景色を見られるのも関係者だけ。
そう考えると雨空もまた楽しきものであります。

帰りには雨も小降りとなり薄日が差してきました。
薄日が差し込むなかでの新緑の美しさも格別です。

私としては秋の紅葉も良いんですが
春の新緑の方をお勧めします。
道路は新緑のトンネル状態。
新緑のトンネルをくぐっていると
何となく元気を頂いたような気になります。

白鳥神社は
ヤマトタケル伝説に由来した由緒ある神社なんです。
三浦半島から房総半島に渡ってきた日本武尊が
山中で迷い、白い鳥に導かれて・・・
という事なんですが
それ以来この地域の総称を白鳥と言っています。
その昔も白鳥村がありました。



honkab at 20:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)6.トモゾウ日記 

2013年04月14日 アート×ミックスまで あと○○日

里見カウントダウン小湊鉄道の里見駅の前に
地元の方の好意で設置していただいている
看板にカウントダウンのボードができました。

設置していただいて、管理までして頂いているのは
有名な(知ってる人は知っている)与一郎ザクラの
オーナーでもあります。

NHKの家族に乾杯が市原市を取り上げたときにも
この桜を撮影に来ていました。

じわじわと広がる
中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス。

4月15日には
牛久に最前線基地となる
市役所の推進室が設置され、活動がいよいよ本格化します。

アートミックスのご紹介は≪こちら≫


honkab at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)里の活性化 

2013年04月12日 小中一貫教育校

加茂学園開校式市原市の加茂地区に新しい学校ができました。
少子化が進み、子供たちが減っているなか
地域の4小学校を統合して
中学校と併設しました。

市原では初めて、千葉県内でも2番目という
小中一貫教育校の誕生です。

開校式が4月8日。
入学式が4月11日。
小中合わせても全校生徒262人の小さな学校です。

新1年生が21人。
9学年の平均でも1クラス30人弱。

世界で教育水準が高いと言われるフィンランドでは
1クラス20人の小規模編成です。

と、言う事は
世界の理想に近いという事になります。

もともとこの地域では教育熱心という伝統があります。
サイエンスパフォーマーとなっている
でんじろうさんもこの地域で高校生まで過ごしていますし
国公立大学に進んでいる方も比率で考えるとかなり高いと思われます。
(調べたわけではありませんが)

この新しい一貫教育校が
子供たちの知力、体力、徳育を伸ばし、
理想の学園になることを祈るばかりです。


honkab at 14:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)議員のお仕事 

2013年04月09日 仙台に行ってきました(観光じゃないよ) 5

4.名取市 
 
閖上(ゆりあげ)地区の復興を中心にお話を聞くことができた。

↓ 名取市役所
名取市役所
行政の震災復興の対応として、震災復興部を新設。
部の組織として生活再建支援課を設置。
その下に
・仮設住宅管理班・生活支援給付班・生活再建支援班。

更に復興まちづくり課として
・区画整理班・移転整備班・復興住宅班を置いた。
 
議会の対応として、常任委員会を4から2に再編。
21人の全議員が参加する災害復興特別委員会を新たに設置。
災害復興に向けて迅速な協議を図っているそうである。
お邪魔した時にはたまたま特別委員会が開かれており、
傍聴を希望したが断られてしまった。
 
震災復興部にお邪魔した時に傍聴を断られた理由が解った。

閖上地区では区画整理によるまちの再建を予定し、
住宅が込み入っていない被災地については高台移転を基本方針としている。

計画策定段階から市民の意見を聞きながら進めてきたが、
最近、具体案を発表したところ異論が続出。
計画自体が空中分解する恐れさえあるそうだ。
その状況では他市からの議員の傍聴は断られてもいたしかたない。
 
5千人が暮らしていた閖上地区では亡くなった方も多く、
相続の問題が浮上。
地震により土地が動いており、境界が定まらない。
などの個別の意見が寄せられている段階だそうである。
 
区画整理による再開発を行えば、
相続などの手続きも行政が手伝う事が出来るし、
境界確定も登記の面積で進めながら、
再建した後に新たに確定できるので、
住民にとっても有効な手法としているが、
個別の事情によりなかなか進展しないそうである。

また、名取市では組合施工の区画整理はあったものの、
行政による直接区画整理事業の経験が無いそうで、
そうした不慣れな点も
問題解決に時間を要する一因かもしれない。
とは担当者のお話でした。
 
総務課長からは
市原市からの職員派遣に対しての感謝の言葉と
その後のメンタルケアまで心配される気配りを頂き、
現在も県から16人、名取市の臨時雇用17人という実情を伺った。
また市民の意識として
「災害の記憶が風化してきたように感じる」という事も伺い、
災害復興に向かう行政運営の難しさを垣間見た感じである。


東日本大震災の早期の復興を祈ると共に、
市原市も震災被害を教訓として、
防災、減災に平時から取り組む必要を強く感じた。

ゆりあげ慰霊塔
↑ ゆりあげ地区の慰霊塔の高台から。

5千人が暮らした街も一瞬で消えてしまった。

honkab at 08:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)議員のお仕事 

2013年04月08日 仙台に行ってきました(観光じゃないよ) 4

3.仙台市 葬祭業 菅原氏
 
死亡・行方不明者が2万人を超えた東日本大震災に於いて、
宮城県では約1万人に近い方の死亡が確認された。

宮城県で13か所の葬祭場を展開する菅原氏の会社でも
2か所の葬祭場が津波の被害を受け、
建て直しや他の施設のメンテナンスも含めて
再建に2億円ほどの費用がかかったそうである。
 
県内の葬祭業で協働しながら対処に当たったそうであるが
「まず棺が足りない。
全国からつてを頼って1千個を調達したが到底足りるものではなかった」
というリアルなお話から始まった。
 
ガソリンもなく、移送もままならないうえに
遺体の保存、搬送、埋葬は法律で決められた手続きもあり、
厚生労働省の特例通達や宮城県の通知、県警の通知、仙台市の通知など、
法律を踏まえることから業務が始まったという事である。

当然であるが社員のなかにも被災者がいる中での業務活動となった。

↓ 菅原氏の会社外観 
仙台清月記

仮埋葬、
3ヶ月後くらいからの掘り起こしての火葬という作業は
メンタル部分は当然として、
匂い、手触りなど想像を超えたつらさがあり
「社員の皆さんや業界関係者のご苦労は頭が下がる」と言われていた。
確かにマスコミ報道ではそうした部分は報道されないことである。
 
火葬場も処理能力を超えていて、
東京にまで手配して体制を整えたが、
荼毘にふすまでに約10日ほどかかり、
その間遺族の方との接触は
最前線である葬祭業者に大きく委ねられていたそうである。
 
そんな中でも他県から多くの葬祭業者が入り込み、
棺の争奪や火葬場の順番待ち、遺族への対応ミスなど、
葬祭業の印象を悪くするような事例が多くあり
心を痛めた様子であった。

詳細な活動記録を冊子として製作しており、
「震災の経験を風化させない」という菅原氏の言葉には
被災者と向き合ってきた自負がうかがえた。
 
菅原氏は仙台においても若手経営者として活躍されており、
経済復興とその後の仙台の活性化についても
積極的に行動されているようである。

「今はミニバブル。市内のマンションは周辺の子育てが終わった、
それなりの所得がある世帯の入居で満杯。
人口構成も少し変わるかもしれない」として、
「高齢者が歩いて生活ができるスモールシティとなった。
これを生かすまちづくりに向けて行政も動き出さなければならない」と
復興から未来を見据えていた。

これからさらに仙台市街への一極集中が加速し、
東京まで2時間という新幹線効果で仙台は発展するだろうし、
させなければならないと決意のほどを述べていた。
「生き残った者の務めです」という
別れ際の言葉に氏の活躍を祈るばかりである。


honkab at 08:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)議員のお仕事 

2013年04月07日 仙台に行ってきました(観光じゃないよ) 3

2.東松島市

災害により不通になっている仙石線のうち
「りくせんとみやま駅」を視察した。
駅前といっても無人駅の小さなものだが 
目の前が海岸線で海岸の復旧工事が行われていた。

海岸線の復旧後、線路の復旧という流れで、
現在は線路は外され、復旧にはあと2年ほどかかるそうである。
仙石線 

駅前にある商店主の方にお話を聞くことができた。
「40軒ほどの集落のうち5軒が転出した。
津波は高さ1.4mで家が流されるような被害はなかったものの、
列車が無くなったことが転出の大きな理由」と感じているそうだ。

仙台市街まで約1時間に位置する当地では
漁師も高齢化で減少しており、
「倅夫婦がサラリーマンなら災害がきっかけで出て行ったしまうだろう」と
ふるさとの衰退がさみしそうであった。

小湊鉄道が被災した場合を想像すると 
鉄橋などの設備の老朽化もあるため、
復旧には仙石線以上の時間を要するであろうし、
牛久以南は「廃線」という選択肢が高い可能性で考えられる。

現実に仙石線は一部廃線が確定しており、
乗降人数が少ない地域では致し方ない選択かもしれない。
しかし、沿線に住む住民、
特に公共交通機関に頼る高齢者や
通学に利用する児童・生徒にとっては大きな問題である。

いちはらアート×ミックスのような観光振興事業で
今から利用者増を図っておかなければ「廃線」の危機は常についてまわるだろう。
 
とみやま駅にほど近い災害復旧工事の現場を見ることができた。
仙石線脇の堤防のかさ上げ工事に着手したところだそうである。
海からすぐに斜面になっているため、
資材の搬入はすべて海からの輸送という制約があり、
難工事の様子であった。

現場担当者の方が図面等で説明していただいたが
資材不足のため工程管理が難しいとのことである。
特に生コンクリートの出荷が制限されており、
単価も上昇して予算が組めないとのこと。
 
資材価格の上昇には単品スライドなどの手法もあるので伺うと、
震災とはいえ東北地域限定の物価上昇なので
行政側の明確な答えがもらえないとのこと。

更に、技術者不足でそうした書類作成にまで手が回らない現状で
「予算より工事管理で精いっぱい」とのことであった。
「東北の事だけで建設業法まで変えろとはいえないでしょう」と
建設技術者としての正論と、
「特例を認めてほしい」という本音の両方の言葉を頂いた。



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2013年04月06日 仙台に行ってきました(観光じゃないよ) 2

1.宮城県建設業協会 専務理事 千葉氏

建設会社の経営者でもある千葉氏は 
被災当初、社員や協力会社の安否確認を社内に指示だけして、
建設業協会と宮城県との「災害協定」による
災害応急対応を指揮するために行動を始めたそうである。
 
社員のうち2名の安否の確認がとれないことや
自社の被害も確認できないなか
応急対応の陣頭指揮に当たらざる負えなかったそうである。

「とにかく動く」ことしか頭になく、
まずは人命救助、続く物資輸送のための道路上のがれき撤去など
「いつ寝ていつ食べたか解らない」という数日を過ごしたし、
その時期の記憶があいまいなほど集中していたのだろうと感じているそうである。
 
安否不明の社員のうち1名は
現場事務所のなかで亡くなっていることが確認されたそうだ。
工事現場の同僚などの話によれば、
作業員などを避難させ、
自分は現場の地震による被害を確認して
バリケードなどの安全確認をしてから避難すると言い残して
現場に向かった姿が最後だったという事である。

「津波被害に遭われた多くの方のなかには 
同じように家や漁船などの確認のために海岸線に向かった人が多かったと想像します」

「千年に一度の災害ですから津波の怖さを忘れていたかもしれません」
「やはり訓練が必要なのでしょう」等々、
実際に被災して陣頭指揮に当たられた方の言葉には説得力がありました。
 
復興に当たっては 資材、機械、人材など、
復興に必要なものすべてが不足しており、
建設業界として限界とも言える最大限の努力はしているが
中々すべてには手が回らないとのことであり
「小泉改革以来、建設投資が減り続け、
民主党政権の3年余りで建設業のキャパシティが半減していたなかでの災害なので
期待に答えきれないもどかしさを感じる」とのことである。
 
そもそも建設技術者や技能者の育成は 
経験工学と言われるほど時間と手間がかかることから、
今そこに工事があってもすぐに人間が湧いて出るようなものではなく、
復興バブルも数年と思えば
無理な投資もできないという本音も理解できるところである。

↓ 災害復旧の護岸工事の現場
仙台護岸工事 


市原市においても建設投資は減り続けており、
業者数、雇用数ともに減少し続けている現実がある。
更に臨海部の工場地帯においても、
メンテナンスに関わる人材はリストラされており、
下請け企業も仕事の減少により業態を変えつつある。

コスモ石油のガスタンク爆発は市民に大きな被害は出なかったものの、
大きな災害が重なれば、
空洞化しつつあると言われる臨海部の工場群も
縮小や移転を考える可能性が高い。
 
市行政でできることには限界はあるが 
防潮堤のかさ上げ、臨海部で働く皆さんの避難路などのインフラ整備、
技術・技能継承のための公共工事のあり方、
災害協定の再整備や協定を結んだ企業の評価など、
考慮すべき課題のいくつかが浮かんだ。
 
千葉氏には
東日本大震災での宮城県建設業協会の
活動記録を編集した冊子まで提供していただき、
更には海岸線の復興工事についても見学できるように手配を頂くなど、
ご協力に感謝したい。


honkab at 07:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)議員のお仕事 

2013年04月05日 仙台に行ってきました(観光じゃないよ)

宮城県の仙台市、東松島市、名取市などを視察してきました。

3.11からまる2年。復興の遅れが報道されております。

現地の復興の様子や暮らしのありようなど
現実を見てみたくなりました。

大震災当初には「物見遊山」的に取られたくなかったのと
地方議員とはいえ、
行くとなれば現地の関係者に
余計な手間を煩わせることになってしまうので
遠慮しておりました。

そんなことで実行した災害被災地の様子を・・・
議長に提出する視察報告書をもとにお伝えします。



◆視察の目的及び選定理由

1.仙台市 宮城県建設業協会 専務理事 千葉氏
  東日本大震災における「緊急対応」「災害復旧」「災害復興」の最前線で
  陣頭指揮を執り続けている方のお話を聞くことにより、
  市原市の災害対応、災害復旧の参考とするため。
  
  また、復興に向かう宮城県の発注者の問題点や
  施工関係者の問題点をお聞きすることで、
  マスコミ報道にある「復興の遅れ」の実態を調査すると共に、
  被災から2年経過して風化しつつある被災地への支援の可能性や
  市原市の「災害に強いまちづくり」の参考とするため。

2.東松島市
  災害により不通になっている仙石線の復旧や
  海岸線の復旧状況を調査することにより、
  公共交通を失った地域の暮らしの変化を実際に見聞し、
  市原市南部地域のように単線の小湊鉄道が被災した場合の参考とするため。

3.仙台市 葬祭業 菅原氏
  約2万人が亡くなった東日本大震災に於いて、
  人の生死に一番近くで携わった方のお話を聞きとることにより、
  災害の悲惨さの実態を知り、
  かつ復興に当たる経済人としての行動など、
  市原市が被災した場合の早急な復興への参考とするため。

4.名取市 ゆりあげ地区
  津波被害の実際と地域の復興手法を調査することにより、
  市原市が被災した場合の参考に資するため。
  また、災害当初に市原市からも職員を5名、
  延べ6カ月間にわたって派遣したこともあり、
  その後の行政支援や、
  現在不足している支援などを調査することを目的とした。


honkab at 13:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)議員のお仕事 
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